VivaldiとVimとHHKを愛してる

Vivaldiが大好きでVimが大好きでHappyHackingKeyboardが大好きな変人のブログです。

Vivaldi Social に joinした

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mstdn.jp でもなく、 pawoo でもなく、Vivaldi Social を選んだ理由

先日、Twitterがサードパーティアプリを締め出す発表をした。 それにともない次世代Twitterである、マストドンの移行先を検討した。 マストドンの有名なインスタンスはいくつかある。 mastdon.jppawooといった物。しかし、僕は立ち上がったばかりのVivaldi Socialを選んだ。 ユーザの数を重視するならば、先の二つを選ぶ方が賢明だろう。 しかし、僕自身がSNSに求めているのは人の多寡ではなく、人の質である。 Vivaldi Socialという尖ったインスタンスを選ぶ人の質は果たしてどうか。

少なくとも、彼らは多数派ではなく、少数派である。 そして、彼、彼女らは、少数派である事を誇るような人種ではなく、少数派である事を楽しむ人種だろう。 Operaから脈々と続くVivaldi陣営の理念を愛している人たちは、そういう人種だ。

要するに、僕自身が変わり者であり、同時に似たような変わり者が好き過ぎるのだ。 理由はそれだけである。

Vivaldiのビジネスモデル

マストドンインスタンスを維持していくにはそれなりに費用が必要である。 その費用をVivaldiはまかなえるのだろうかという素朴な疑問が生じる。 答えは、Vivaldiのビジネスモデルに書いてある。 これを読むと分かるが、検索エンジンGoogle以外を選択して検索するならば、それがVivaldiの収入に直結する。 普通にブラウジングしていれば、それで収入が生じるのだ。 費用に関してはそれでなんとかなっているようなので、今後も引き続きVivaldiを使い続ければ良い。

自由について

ここから先は、愛読しているBlackIceCoffeePhenomenonに倣って、散文的な表現でなんかそれっぽくエモい文章を書き散らしたいと思う。

以前どこかで書いたが、僕は自由に関しては制限が必要だと感じている。 どういう事かというと、制限のない自由、つまり無法状態は本当の自由ではないと感じている。 ルールという枠組みがあり、その枠を越えない中で何でもできる、それが真の自由だと思っている。 これは、僕の中の定義であり、自由に関しては人それぞれだ。 言葉を変えるならば、考え、、哲学、信条、あるいは、信仰か。 いずれにせよ、僕は他の人の考えを変えるつもりは無いが、こういう考えをする人がいるという参考にして欲しいと思っている。

さて、この枠組の中での自由という点で、Vivaldi陣営はOpera時代から一貫している考えだと僕は思っている。 Vivaldi陣営は恐ろしいくらいルールに厳密だと感じている。 ルールを作る事は他に任せつつ、その中でできる限りのことをするというスタンスはずっと変わっていない。 その姿勢が、僕はとてもつなく好きなのだ。

Vivaldi Socialはどれくらい自由なのだろうか。 そして、どういう自由を選んでいるのだろうか。 僕にはそれは分からない。 でも、無法地帯にはならないだろう。 Vivaldi陣営は、ほどほどの安心と安全を提供してくれる、そう信頼している。